どうしたら"アウェイ"を"ホーム"変えられるか
子供の頃、友達の家によく遊びに行ってたけど、時々アポなしで行くことがあった。当然、家に友達がいなかったりするわけなんだけど、どうしても遊びたいから家の前で帰ってくるまで待ったりしていた。
今思うと、まじでヤバい。
たぶん、病的な依存体質とか独占欲みたいなやつで、仲良くなったら同じ人としか遊ばない、ってことがよくあった。その子には別の友達がいて、その子とも遊びたかっただろうに。
しかも、タチの悪いことに他の子と遊んでいると、「嫌われた」と思い込み、ぱったりと交流をやめてしまう。
今思うと、死ぬほどヤバい。
いつからか「嫌われた」と思うこと自体が嫌になって、初めから深く関わらないという技を身につけた結果、ぼくは極端に友達が少ない。
そんなことをしていたばっかりに、一般的に培われるはずのコミュニケーション能力が欠けてしまっていることを、ここ数年痛いほどに自覚している。
気付いてしまったのだが、ぼくは"すでに完成したコミュニティ"に入れない。
それは、会社のプロジェクトだったり、妻の応援しているサッカーチームの観戦仲間だたり、だ。
そうゆうコミュニティの飲み会とかはまさに地獄。文字通り地獄。
口数は少なめで、ニコニコしているだけだ。「自分はこのコミュニティでは脇役だ。でしゃばるな。」と、心の中のぼくがずっとブレーキを踏み続けている状態をいつも想像している。
たまに会話に入るときは、パッと言って、サッと逃げる。
置いて逃げる。まるでボンバーマンだ。火力は弱めだが。
なんなら、もうちょっと話振れよ、とか内心キレたりしてしまうクズ野郎に構ってくれるわけもないし、向こうからしたら無口で何考えてるか分からないやつに、話を振ろうとは思わないだろう。
ぼくならそんなやつと目も合わせたくない。ニヤニヤすんな、気持ち悪い。とツイートして拡散希望する。
それならいっそ、こちらからいろいろ聞いてみる方がいいのかもしれない。
でも、「会話を遮るな」と思われないか、怖い。死ぬほど怖い。嫌われたくない。
分かってる。自分だったら、いろいろと聞いてきてくれた方が嬉しい。でも、他人はどう考えているかわからない。怖い。
仲の良い人と話している時の自分を思い返すと、自然とボケてるんだよな、と思う。
なんなら、ボケたい。ボケ倒したい。
でも、ツッコミをもらえなかったら、変な奴と思われて終わってしまう。怖い。
無理だ。ボケられない。
ボケられる人間は一瞬でその場を"ホーム"に変えられるんだろうか。
黙りこくっているぼくはいつまでも"アウェイ"で、頭の中のフーリガンにずっとヤジられている。
誰か、ボケの教科書を作ってくれ。答えを覚えるのは得意だから。
あぁ、いつかゼロベースで、クリエイティブな発想で、どんな場面でも笑いを生み出せる男になりたい。