「共感」って必要?
最果タヒさんの言葉は、まるで薄い絹のように滑らかだ。
思考のまま、とでもいうのか。
詩を読み、ぼくはその意味を探る。
小説やエッセイとは違い、詩は「断片」だ。
その断片は人によってとらえ方が変わってしまう。
言葉にはその人の「意識」を蓄積している。
なんて良い表現だろう。
わかったふりとか、そうゆうのはどうでもよくて。
言葉は見る人、聞く人によって形を変えてしまうから。
ミロのヴィーナス像の話を思い出す。
ミロのヴィーナス像には腕がない。
だが、腕がないからこそ、美しいのだ。と。
形を持たないことが、万人にとっての「美」となる。
それを共感する必要なんてないし、どれが最良か、なんて考える必要もない。
ただ、それが「美しい」。
それだけでいい。