自分の悩みにマジメに答えてみることにした

東京でサラリーマンをしながら、エッセイを書いています。たまに書評ブログも。「3分間であなたに新しい視点をひとつだけ増やす」をコンセプトにほぼ毎日更新中。

「共感」って必要?

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 最果タヒさんの言葉は、まるで薄い絹のように滑らかだ。
 思考のまま、とでもいうのか。

  詩を読み、ぼくはその意味を探る。
 小説やエッセイとは違い、詩は「断片」だ。
 その断片は人によってとらえ方が変わってしまう。

 言葉にはその人の「意識」を蓄積している。
 なんて良い表現だろう。
 
 わかったふりとか、そうゆうのはどうでもよくて。
 言葉は見る人、聞く人によって形を変えてしまうから。

 ミロのヴィーナス像の話を思い出す。
 ミロのヴィーナス像には腕がない。
 だが、腕がないからこそ、美しいのだ。と。

 形を持たないことが、万人にとっての「美」となる。
 
 それを共感する必要なんてないし、どれが最良か、なんて考える必要もない。
 ただ、それが「美しい」。
 それだけでいい。