自分の悩みにマジメに答えてみることにした

東京でサラリーマンをしながら、エッセイを書いています。たまに書評ブログも。「3分間であなたに新しい視点をひとつだけ増やす」をコンセプトにほぼ毎日更新中。

旅行って行く意味ある?

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世の中便利になったものだ。
行きたい場所を探す。経路を調べる。交通手段を予約する。宿を予約する。レストランを予約する。アクティビティを見つける。予約する。お土産を探す。取り寄せる。
全部この薄い板でできる。
ぼくらは大変な時代に生きているものだ。と改めて思う。

今週の日曜日、ぼくは一歩も外に出なかった。
何の予定もなかったから本当はどこかへ出かけようと思っていたのだが。

ぼくは行きたい場所を探した。最近、立て続けに展覧会の話を書いて、また展覧会に行きたい欲が高まってきたから、近くの美術館などでおもしろそうなものがないか検索してみた。
あまり気を惹くものを見つけられなかった。

今年の5月に引っ越してきて、まだこの周辺の美術館を探したことがなかったから、調べてみた。
あることにはあるが、これもあまり惹かれない。

ふと画面の端を見ると、「十和田市現代美術館」という文字の上に、赤色の蜘蛛のような大きなオブジェの画像を見つけた。
どこかで見たことがある感じ。
森ビルの下にある蜘蛛のオブジェ「ママン」に似ていた。

もしかしたら姉妹作かもしれない、と思い調べてみたが、作者は違っていたし、そもそも蜘蛛ではなく蟻だった。
そのサイトにはご丁寧に解説も載せられていて、"経済成長という強迫観念にしばられ、肥大化する現代の消費社会に警鐘を鳴らした作品"らしい。
他にもそのサイトでは、常設された作品を解説付きで紹介していた。

ふと思った。
これは、その場に行かなくても、ある程度の美術館賞はできるのではないか。
そこからさらに思考を飛躍させ、ぼくはこの部屋から世界中のどこへでも行けるんじゃないか。と思い至った。

人生で一度は行きたい場所、ぼくは「ウユニ塩湖」に行ってみたいと、いつか思っていたことを思い出す。

ぼくはウユニ塩湖に"行く"ことにした。

www.google.co.jp

いや、すごい。想像以上に感動した。現地に行く必要が見いだせない。

わざわざ行く必要なんてないのに、何でみんな旅行が好きなんだろうか。
この目で見るため?画像でだってみられるじゃないか。
肌で触れるため?ウユニの気温は21℃。今の東京と変わらない。
匂いを感じるため?それはこの部屋から感じることはできないけど、匂いを嗅ぐために旅行に行くってのは、特殊すぎる。

なんてことを家で考えあぐねていた時、会社の先輩がカンボジアアンコールワットに行った時の話を思い出していた。
「どうでした?」と聞いたら、こう答えてくれた。

アンコールワットの周辺観光で"水上村"ってのがあるっていうから、そこに行ってみたんだよ。行ったら現地の人がボートで案内してくれるって言うから、お願いしたわけ。ひとしきり見せてもらって、まぁこんなもんかとか思ってたら、『貧しい人に物資を買ってくれないか』とか言われて。怪しいなー、と思ったから俺は渋ってたんだけどさ、友達は払っちゃったわけ。『なんか、ほっとけなくて』とか言って。後で調べたら案の定、詐欺だったっぽいんだよねー」
アンコールワットはどうでした?」
「あー、よかったよー」

旅行は、有名なものを見にいくものじゃない。何かを体験しにいくんだ。
ネタバレしているものは案外、感動が薄いのかもしれない。
想像していなかったモノ、出来事が"旅の思い出"ってやつなんだな、と一人納得していた。

そんなことをしていたら日が暮れていた。液晶画面とにらめっこしすぎたせいか、心なしか憂鬱な気分だ。
いくら世の中が便利になっても、出かけないとダメみたいだ。