自分の悩みにマジメに答えてみることにした

東京でサラリーマンをしながら、エッセイを書いています。たまに書評ブログも。「3分間であなたに新しい視点をひとつだけ増やす」をコンセプトにほぼ毎日更新中。

欲の話

 会社の最寄り駅の目の前に立っている大きなホテルを眺めながら、あるいは通勤電車から見える立派なタワーマンションを眺めながら、「最上階に泊まれる、住めるほどの経済力が欲しい。」なんてことをよく考える。

 だが、冷静になって思う。ぼくは本当にそんなところに泊まったり、住みたいのだろうかと。

  会社の最寄り駅にある大きなホテルになんて、東京近郊に住んでいるぼくにしてみれば、全くもって泊まる理由がない。仮に経済力があったとしても、自分の性格上、そんな無駄遣いをするとは到底考えにくい。旅行先なら大きなホテルに泊まりたいという気持ちはあるが、1泊何万円も出して最上階の最高級スイートルームに泊まりたいとまでは決して思わない。

 通勤電車から見える立派なタワーマンションだってそうだ。そもそも、ぼくはマンションよりも戸建て派だ。駅から徒歩数分に位置する都心のタワーマンションの最上階なんて、それこそ文字通り目が飛び出てしまうような金額だろうし、そんなところに金を使うくらいなら、郊外の広い土地に2階建ての立派な戸建てを建て、庭で大型犬を飼いたい。

 

 だとすれば、どうしてそんな願望が生まれてくるのか。

 それは、承認欲求だと思う。

 「ぼくはあのホテルの最上階に泊まれる人間なんですよ」

 「ぼくはあのタワーマンションの最上階に住めるくらい成功したんですよ」

 と、誰にでもわかりやすい形に変換されてアウトプットされてきたのがそれだ。

 高度経済成長期の遺産か、はたまたバブル期の余波か、社会に"成功"の形を提示され、知らず知らずの内に刷り込まれていた。

 金持ちにならなきゃいけない。成功しなきゃいけない。と。

 

 そんなカラクリに気付き、ぼくは本当は何をしたいんだろうと考えてみる。

 

 年に数回の旅行。数年に一度の海外旅行。

 嫁とこどもと楽しくトランプをしたい。人生ゲームをしたい。

 こどもがひとりで生きていける手助けをしてあげたい。

 

 そうしてぼくは気付く。

 ぼくが本当にしたいことは、必死になって働いて得られるものじゃないんだ、と。