働くことが生きがい、ってどうなの?
先日、19時を少し過ぎた頃に、会社の先輩と後輩と談笑をしていた時の話。
先輩の携帯に一本の電話が入った。話しぶりからすると、外部からの電話のようだった。電話が切れ、パソコンに向かう先輩。
「こんな時間に電話ですか」とぼくが聞くと、「この人、結構遅くまで仕事してるんだよね。この前休日にメールが来てたし」と先輩は答えた。
「尊敬はできないですけどね。働き方改革ってこれだけ騒がれてるのに、そろそろ見直した方がいいですよね」とぼくが言うと、先輩は「まぁなぁ」とあいまいな返事をした。それを聞いていた後輩が一言、こう言った。
「"生きがい"なのかもしれないですよ」
割と本気で考えつかなかった発想で、感心した。それに対してぼくはこう返した。
「友達にはなれなさそうだな」
"働き方改革"なんて昨今では口癖のようにどの企業も言っているし、このご時世、もはや当たり前になってきている。
これまでの企業の形は、年功序列、終身雇用を保証する代わりに、社員は企業の手となり足となり、あくせく働いていたわけだが、今は、個人がそれぞれの価値を持って働く時代だ。
言い換えれば、企業主体から個人主体へのパラダイムシフトだ。
先日の東芝の7000人規模の人員削減報道が示すとおり、大企業安定神話なんてものはとっくに崩壊している。今やどの企業も「明日は我が身」だ。
そんな時代に社員を留めるために、企業は何をしているか。
そう、"働きがい"の提供だ。
「働きがいの提供」という、抽象的で耳障りの良い言葉ではわかりにくいが、いわば機会と環境を整えるということだ。
ただし、さっきも言った通りで、個人の価値は十人十色、千差万別。というわけで、まともな企業で働く皆さんは、上司との1 on 1でのミーティングを設けられているものと思う。上司とのミーティングがない企業にお勤めの方は、バージョンが古い可能性が高いので、早々に"アップデート"をおすすめする。
最初の話に戻るが、後輩の一言は非常におもしろい。
「働くことが生きがい」
割と聞く話だし、現にそうやって生きている人は多いように思う。
でも、ぼくからすれば非常に危ういと感じてしまう。
働きがいの提供は、企業にとっての生存戦略だ。
そして、100%安全な企業など、もはや存在しない。
働けなくなったら、生きがいを失うことになる。
ぼくは、与えられる"働きがい"よりも、自ら持つ"生きがい"を大切にしたい。
それはぼくにとっての生存戦略だ。