肩書きは人を変えるか
世の中、案外あいまいなものは多い。
例えば、「いま話題の」なんてのは、どこで誰が話題にしているのか分かったものではない。でも、「"いま話題の"映画」と言われたら見に行きたくなるし、「"いま話題"のスイーツ」なんて言われたら、女子はこぞって駆けつける。
「にわとりが先か、たまごが先か」と良く言うが、「話題になっている」と言われれば、本当か否かに関わらず、話題にはなるわけだ。
こう書くと批判的に見えるが、ぼくは「"いま話題の"」肯定派だ。
「AIDMAの法則」という、人間の消費行動に関する有名な説がある。それによれば、人間は次の順序で消費行動に至るとされている。
A : Attention (注意)
I : Interest (興味)
D : Desire (欲求)
M : Memory (記憶)
A : Action (行動)
"いま話題の"と言われることで、Attention、Interestを刺激される。大切なのはここからで、それが本当にDesireを満たすかどうかが商品やサービスの本質だ。
裏を返せば、人に行動をしてもらうにはAttention、Interestをクリアしないと、消費行動の"土俵"に立てないことになる。そういった意味で、"いま話題の"に対しては肯定派だ。
いま、ぼくが直面しているあいまいなものは、"エッセイスト"だ。
エッセイスト、つまり随筆家は、Wikipediaによるとこう表現されている。
随筆家(ずいひつか)とは、随筆を書く者である。エッセイスト(essayist)とも呼ばれる。
Wikipedia
ちなみに随筆とは、
随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。
Wikipedia
つまり、ぼくはいまエッセイ(随筆)を書いているから、"エッセイスト"だ。でも、"エッセイスト"と自称することがはばかられる。なぜなら、
ぼくには実績がない。
でも、Wikipediaには「随筆を書いて実績を上げた者」だなんて書かれていない。
じゃあ、どのくらい実績があれば"エッセイスト"になれるのか。
そこにはとてつもないあいまいさがある。
"いま話題の"に明確な尺度がないように、"エッセイスト"にも尺度はない。
だから、ぼくは今日この日をもって"エッセイスト"になった。
得体の知れない男よりも、"エッセイスト"の方が説得力があるだろう。
本日は大変長い、言い訳でございました。