自分の悩みにマジメに答えてみることにした

東京でサラリーマンをしながら、エッセイを書いています。たまに書評ブログも。「3分間であなたに新しい視点をひとつだけ増やす」をコンセプトにほぼ毎日更新中。

「正解」を言わないといけないんですか?

女性が薄ら笑みを浮かべて、「毎朝、おはようってLINE送ってくるんだけどさー、なんでだと思うー?彼氏とかじゃないのにさー」と友達に聞いていたら、それは「絶対好きだよ、それー」待ちである。絶対にそうだ。それ以外に考えられない。

欲しい回答。つまり、「正解」はすでに彼女の中にある。

 正解のある問いは試験を彷彿とさせる。そう。それはまさに「言ってほしい言葉センター試験」だ。

 

先ほどのは定期テストにも頻出の言わば基礎問題だ。

上級編に移ろう。

 

次の会話文を読み、問いに答えなさい。

女「○○さんって、ナンパとかよくするんですよね。」

男「するよー。この前もバーで女の子と飲んだし。」

女「私、そうゆうの待ってても、全然声をかけられないんですよね。」

男「えー、意外だねー。」

女「なんでなんですかね。

 

 下線部について、女が欲しい回答はどのようなものと考えられるか。その内容として適切なものを選べ。

① もう少しやせた方がいいよ。

② 自分から話しかけたらどうかな。

③ わからないなー。

④ 俺なら声かけるけどなー。

 

ぼくには難問過ぎてどれが正解かは見当もついていない。回答がわかる人はぜひ教えていただきたい。

 

ぼくはそんな「正解」の搾取を許せない。

釣り針の付いたエサだと分かって食いつく魚はいないだろう。それならば、釣り針の先のエサを少しだけ食べて、仄暗い水の底で薄ら笑っていたい。

そんな思いでこれを書いていると思うと、根性が前衛芸術ばりに曲がっている気がして、気が引けてくるけど。

 

ただ最近、ぼくはまるで釣り堀の魚のように敏感になってしまっている。

たとえ釣り堀の管理人が撒いたエサであっても、「これに食いついたら、ニヤニヤと笑みを浮かべながら釣り上げられるんじゃないか。」と。

釣り堀のようにぼくの心は淀んでしまっているのだろうか。

 

澄んだ水に住まれている川魚の皆さんは、釣り針が付いているとも知らずにエサに食いついているのでしょうか。ニヤニヤと笑みを浮かべたやつに釣り上げられても、平然としているのでしょうか。

それとも、全て分かった上でその身を捧げているのでしょうか。

 

ぼくには、到底出来そうもない。

釣り上げられてしまったら悔しくて悔しくてたまらない。